八坂神社の手相占い
こんにちは。ひさごです。
ご訪問ありがとうございます。
この記事では、ひさごの手相鑑定初体験(鑑定してもらった方)の思い出と、八坂神社のお話をしようと思います。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ひと口に占いと言っても、「命占(めいせん)」と「卜占(ぼくせん)」、そして「相占(そうせん)」と分類されます。
最近はこれに「霊占(れいせん)」も足したりするそうですが。
「命占(めいせん)」は、生まれた日時や場所などから一生のガイドラインを俯瞰するタイプの占い。
例えば、各種占星術(西洋占星術、インド占星術、マヤ暦占い、四柱推命なども)。数秘術なども「命占(めいせん)」として使われることが多いですね。
これに対して「卜占(ぼくせん)」は、比較的短期間(3ヶ月とか、長くても1年)の流れを見る占いです。
タロットなどの各種カード占い、サイコロやルーン、ダウンジングなどの道具を使って占う場合が多いです。
そして「相占(そうせん)」というのは、人相、手相など。実は一昔前までは、占いといえば「手相」というイメージがありました。
今でも、占いができると言うと、「占って!」と手を差し出す人が多いんじゃないでしょうか。
京都八坂神社まで手相をみてもらいに行ったこと
その昔、ひさごが高校生だった頃(もちろん昭和)、修学旅行といえば京都がメインで、自由時間に「八坂神社で手相をみてもらう」と言うのがちょっとしたブームだったことがありました。
でもひさごの進学した高校は、なぜかひさごの学年から修学旅行がなくなったんです。
ひさごの出身は北陸地方のとある県ですが、まさか手相をみてもらうためだけに京都に行くほどの資金も度胸もなく、儚く夢は消え失せたわけですが、
色々紆余曲折があって、なんと予備校時代を京都で過ごすことになりました。
予備校通いとはいえ、大好きな京都です。休みの日には自転車であちこち巡っておりましたが、
思い切って八坂神社を訪ねたのは6月くらいのことでした。
友達の情報では、いつも行列ができているとか。
でも、6月の平日だったせいか、境内もさほど混雑しておらず、行列なんてどこにもありません。くまなく見まわしたところ、おじさんが一人。「占い」の札のついた小さな机を出して座っていました。
わからない、と言った占い師
それで、恐る恐るおじさんに声をかけて、人生初「生」占い!手相をみてもらいました。
大体、10代の女の子の聞きたいことは「将来の仕事」と「結婚相手」のことでしょう。
私もこの二つを聞きました。
ところが、「将来の仕事」で、おじさんがしきりに首を傾げるわけです。
「うーん。なんやろなあ。よくわからんなあ。主婦ってわけでもないようだしなあ」
うーん、うーんと悩み抜いて、「やっぱりわからん。でも食べるには困らん」
はぁ??????
「結婚相手は、親思いの長男」
なんだか、ちっとも嬉しくない初体験でしたが、「親思いの長男」は当たっていました。
とはいえ、昨今長男以外を探す方が難しいかもですよね。
しかし、「将来の仕事がわからない」という結果はショックでした。
友人に話したら、そいつ、インチキなんじゃないかと言ってましたが、いくらだったか、安いとはいえない鑑定料。「とほほ」の思い出です。
その頃なかった職業はわからない
ですが、その後私は、結婚生活を何年か過ごした後に、ウェブサイト関係の仕事をすることになります。
大学卒業の頃はまだ世の中ではワープロのごく初期の機種が出てきた時代です。
パソコンが誰でも操れるようになるのはさらに数年後。
ウェブサイトの構築が素人でもなんとか手が届くようになるのは2000年を過ぎてから。
そりゃあ、1980年代の八坂神社のおじさんには「ウェブデザイナー」だの、「ウェブライター」だの、「わからない」ですよね。
「わからない」と言ったあの占い師は、正直だったんだと思います。
ただ、その時の私の手相がどんなふうだったのか、覚えていないのが残念です。
八坂神社はなぜ占いの聖地なのか
ところで、私の思い出からウン10年たった京都八坂神社界隈ですが、今でも名物の占い師の方がいらっしゃるようですね。占いの館も何軒かあるようで、今も「八坂神社の占い」目当てで京都に出かける人もいるようです。
そのほかに京都では、あの陰陽師安倍晴明がお祀りされている晴明神社にもよく当たる占い師の方がいらっしゃるとか。
ですが、それだけでなく、八坂神社は昔から占いに縁が深い場所だったようです。
八坂神社はもともと祇園社という神仏習合の寺社だった
さて、八坂神社は明治の初めの頃までは、祇園社、祇園感神院(ぎおんかんしんいん)という名称でした。今でも京都の人は、親しみを込めて「祇園さん」と言うそうです。
祇園社は、観慶寺というお寺の神社で、明治政府の神仏分離政策により、「八坂神社」として独立した経緯があります。
この祇園社に奉仕するのは、神主さんではなく、社僧と言われる、お坊さんでした。

祇園祭は悪霊鎮めの祭礼
貞観十一(869)年に都に疫病が大流行したとき、疫病消除と国家安寧を祈るための祭礼が、祇園祭の始まりだそうです。
昔は疫病を流行らせる原因は非業の死を遂げた人々の怨霊が原因とされていたので、「御霊会(ごりょうえ)」という怨霊の魂を鎮めるがしばしば行われていましたが、祇園祭も「祇園御霊会」と呼ばれていたそうです。
当然、祇園社に仕える社僧のお仕事は、対「悪霊」、対「怨霊」向けのお仕事が多かったと思います。
法師陰陽師という存在
源氏物語などに出てくるように、悪霊、怨霊に対しては、僧侶が加持祈祷を行い、調伏します。

一方、陰陽師は陰陽寮に属する「国家公務員」で、陰陽道、天文学、暦学、のエキスパートとして国家の大事に関わる役目を果たしていたのですが、平安中期ごろから、貴族の私的相談役も兼ねて、占いや地鎮祭などを行うケースが増えました。
陰陽師は死を穢れとしますので、原則として、死後のことには関わりません。
貴族たちは、生きているうちの占いやお祓いは陰陽師、悪霊怨霊の調伏は僧侶に、と使い分けをしていたようですね。
しかし、密教にも宿曜経などに占いの要素はありますし、民間の「拝み屋さん」は陰陽師のようでもあり、お坊さんのようでもある霊能者として活躍していたのが現実でした。
安倍晴明が活躍していた頃から、主に地方にですが、「法師陰陽師」という集団が活躍していたようです。(播磨の道満とか)
で、祇園社の社僧ですが、
もともとは観慶寺の僧侶の中で、陰陽道に通じた人々が法師陰陽師として祇園社に仕えていたのだと思います。
この人たちが、元祖、八坂神社の占い師ですね!
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『簠簋内伝』を書いた?安倍晴明の流れをくむ祇園社の法師陰陽師
安倍晴明といえば、スーパー陰陽師として有名な人ですが、占いが得意だった、という伝説は特にありません。しかし、日本史上最も有名な魔術師として知らない人はいないでしょう。
この祇園社の社僧の一派に「安倍晴明」の流れをくむと称した人々がいて、代々「晴」の入った名前を名乗ったそうですが、鎌倉時代に「晴朝」という名の社僧が『簠簋(ほき)内伝』という書物を著したらしいのです。
らしい、というのは、この本は「安倍晴明の著作」という触れ込みですが、実際の作者ははっきりしていません。
安倍晴明の血筋で、累々と陰陽家として時の権力者に仕えてきた「土御門家」は、江戸時代にに、『簠簋(ほき)内伝』は安倍晴明の著作ではない、とはっきりと否定しています。
『簠簋(ほき)内伝』に登場する神々は仏教の香り
『簠簋(ほき)内伝』に登場するのは、南天竺、つまり南インド出身の神様とその子どもたちです。中心となるのは牛頭(ごず)天王という神仏習合の神様で、仏教では祇園精舎の守護神とされる神様。この牛頭天王がお后となる龍王の娘頗梨采女(はりさいにょ)を探しに龍宮に赴く話です。
『簠簋(ほき)内伝』の内容は仏教伝来の神々が数多く登場するので、土御門神道を興した神道系の陰陽家には面白くないものだったのでしょう。でも、これは逆に、『簠簋(ほき)内伝』が仏教系の社僧が著したことの証拠になりそうです。
この『簠簋(ほき)内伝』は安倍晴明の著作として、広く流布していました。登場する牛頭大王の家族はそれぞれ司どる方位が定められ、日時や方位の吉凶を占う暦注の元になっています。
また、『簠簋(ほき)内伝』の主役である牛頭天王は祇園社に祀られ、疫病厄災よけの信心を集めました。
『簠簋(ほき)内伝』は祇園社の安倍晴明の箔をつけて、祇園者をスピ感満載の聖地に祭り上げたのではないでしょうか。
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まとめー八坂神社界隈は占いに縁の深い地域
八坂神社は、かつては観慶寺というお寺の神仏習合の祇園社と呼ばれる場所でした。
祇園祭の源は悪霊や怨霊を鎮める「御霊会」で、祇園社自体も疫病厄災除けの信心を集めており、そこに奉仕する社僧も、法師陰陽師として、占いや呪術を行う場合が多かったと思われます。
祇園の地は、今に至るまで、歴史的に占いと縁が深かった場所と言えるのではないでしょうか。
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